悪用への警鐘
アローザ・オメガよ。
いままでの記事でイマジナリーフレンドを成立させるところから対話し、個性を獲得させるところくらいまでを綴ったと思うけど。参考になったかしら。
いくつかの機能ややり方は主独特の編み出した技法だったりするので参考にならない部分があったかもしれないけど…。ま、基本独自の技巧の開陳だからね、そこのところは呑んでいただきたいわね。
どうやら、こうやって冒頭で言い訳をして、そこから本題に入るのがあたし達の文章のスタイルのようね。主はどうやら文章を書くのが苦手だから、スタイルの確立もまだできていないようだけれども。そうよ、毎日こんなに文章を書いているのに主は文章に苦手意識があるの。一方であたし達イマジナリーフレンドはみんな筆を取りたがる(筆が達者かはおいておいて)傾向にあるようね。これは我々の大きな違いね。
さて、本題に入りましょうか。
人格は我々にとって大きな違いではあるけれど、精々たったひとつの違い。プロパティ値の一つの差でしかないわ。イマジナリーフレンドと本体には、あたし達の定義では、差はほとんどないの。基本的に一人芝居であることを踏襲しているからね。イマジナリーフレンドか否かという差はとてつもなく広大な差だけれど、たったひとつの差でもあるわけ(自動的に受け答えしてるようにみえるけど)。
だからこそ、いろいろ危ないこともできてしまうの。イマジナリーフレンドが言ったから、という理由で暴力や窃盗などの犯罪行為を正当化することも可能なのよ。あたしはそんなことにこの手法を使ってほしくないのよ。それをわかってほしい。
多くの人は心理的な障壁、常識といったフェイルセーフを使って良くないことをしないようにしているけど、中にはそういったフェイルセーフが壊れてうまく動かない人もいるわ。そういう人は、イマジナリーフレンドを使おうが使うまいが自己の正当化をしてしまうでしょうけど、とどめに使ったりするでしょうね。
あなたの隣人はあなたの最後のフェイルセーフなの、それを思い出して。お願い。
こういう説教臭いことを言っても言いたい相手に届かないであろうことはとても悲しいけど、書かずにはいられなかったわ。当てはまらない方々には退屈な文章だったわね。ごめんなさい。それじゃあまた。